パチンコ業界を変えたい。

学生の頃は、週5日はホールに通っていたという。「実験レポートのために泣く泣く2日は我慢しました。」今日はどの台が出るのか。理系らしく傾向を分析し、対策を立てて臨む。やがて少しずつ勝率は高まった。「こんな面白いものが世の中にあったなんて。」パチンコのゲーム性の豊かさに惹かれていく一方で、湯地の中に次第にひとつの夢が生まれつつあった。「釣りやゴルフなどと同様に、『趣味はパチンコです』と堂々と言えるくらいに、業界の地位を向上させたい。」当時、パチンコにはまだアングラな世界があった。くわえタバコで盤面をにらむ人たちの中を、コワモテの店員が闊歩していた。まず店側が変われば、きっと客層も変わる。そうすればもっと多くの人にパチンコの楽しさを知ってもらえるのに。そんなとき、その夢に挑戦している企業と出会った。家に届いた就職情報誌に1社だけ載っていたパチンコホール企業、それがオータだった。「馬鹿じゃねえの。」当時理解してくれる友人は少なかった。「あなたの好きにしなさい。」両親がそういってくれたのが唯一の救いだった。

どこまでも続く夢。

入社後は毎日が楽しくて仕方なかった。「早く仕事を覚えたい。」早番の日は仕事が終わっても、また店に顔を出し先輩に頼んで仕事を教えてもらっていた。4年で店長に、その記録は今でも破られていない。店長になってからも湯地の姿勢は少しも変わらなかった。お客様との会話を楽しみ、スタッフと一緒になって汗をかく。そんな姿をみてくださったのだろうか、お客様から声を掛けられた。「あんたが店長だから毎日来てるんだよ。」うれしかった。パチンコ店の商圏は約半径5キロ。その中でどれだけ地域の人々に愛される店になれるか、それが湯地のテーマだ。全員で手分けをして毎日近隣の清掃をした。タバコやゴミが大量に落ちていた道は、一年も過ぎる頃にはすっかりキレイになった。地域のお祭りに若手社員を引き連れて参加すると高齢者から喜ばれた。こうした地域密着の姿勢は、今も脈々と引き継がれている。「今は、パチンコ産業も徐々に社会に認められてきています。お客様の日常を豊かにするためのちょっとしたスパイス、パチンコにはそんな役割があります。でも、パチンコをもっともっと身近な存在にしたい。私の夢はずっと変わりません。」

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