遅れてきた一期生。

オータに新卒一期生が入社したのは平成元年。パチンコホール企業初の新卒採用ということで、業界では話題となっていた。実は新垣がオータグループに入社したのはそのひと月前。卒業から1年が経っていた。人事部に配属された新垣に与えられた最初の仕事は、入社式を終えた新入社員たちを研修会場まで引率すること。ピカピカの新人たちがまぶしかった。「私も一緒に研修を受けさせてもらえませんか。」思い切って願い出てみると、「おお、いいよ。」意外なほどあっさりと許可された。こうして新垣は新卒一期生の一人となった。3年半、人事部で採用の仕事に携わる。次第にひとつの夢が生まれた。「立場的に店長と接触することが多かったんです。店の業績は店長の力量で決まる。これまで業績が不振の店であっても、力のある店長が行けばやはりお客様が増えていく。その様子を見ていて自分もやってみたいと思うようになりました。」念願かなって店舗配属となる。スタートの役職は主任だった。

挫折に次ぐ、挫折。

「がむしゃらで自信過剰」。若き日の自分を新垣はそう振り返る。すでに店長になっている同期もいた。早く追いつきたかった。当時、店長までは早くても4、5年かかるのが一般的だったが、新垣は目標を1年と定めた。「焦り過ぎだ」と周りは忠告したが、耳を貸さない。案の定3ヶ月でガソリン切れ。機械のメンテひとつをとっても満足に覚えきれない。自信があっただけに挫折は深く、一時は退職まで考えた。それでも1年半で店長代理に、さらにその半年後には念願の店長となった。やっと掴んだ一国一城の主の座。燃えないはずがない。とにかくヤル気があれば業績は伸ばせると信じて、毎日開店前から閉店後までずっと職場にいた。メンバーに対しては自分の考え方、やり方を日々熱く語り続けた。しかし、想いをぶつけるほどにメンバーの気持ちは離れていく。「若かったんですよね、強引に押し付けるばかりでしたから。」結局、最初の店長職は理想とかけ離れた結果に終わった。

20年という時間。

6年間で3つの店舗で店長を経験。その後次長となったが、また店長になり、エリアマネージャーに上がって、また店長に戻る。「私ほど上がったり、下がったりした人間もいませんよ。」そう語る新垣の笑顔に屈託はない。人生に無駄な経験などひとつもない。反省はしても後悔はしない。すべてを肥やしにして次に向かう、それが新垣の信条だ。2013年、4店舗を統括する支社長となった。下期を迎えた頃、業績が伸び悩んだ。ここが正念場、でももう焦って空回りした昔の自分ではない。「どんな小さなことでも構わない。案を出してほしい。」新垣は店長たちに想いを託した。店長はすぐさまスタッフを集め、現場の声を聞く。さまざまなアイデアが集まった。ひとつの店でやってみて、上手く行けば全店に導入する。小さな改善がスピード感を持って全体にひろがっていく。励まし、褒め、見守り、ときに前線で声を出す。裏方のスタッフも含め、全員に一体感が生まれていた。3月末、経営目標を達成。スタッフが肩を叩き合って喜んでいる。心から涌き上がる喜び。初めて店長となったあの日から20年が過ぎていた。

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